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【基町悠吉のつぶやき29  ~消えない記憶に寄り添って~】

 最近少しずつ物忘れがあり、近くに住む長男のお嫁さんや介護保険サービスで少し助けて貰いながら
生活をされているAさん。被爆体験があり、以前は語り部さんとして多くの方々に被爆体験の話を
されていたそうですが、私も訪問すると良く聞かせていただいています。
 『広島家政女学校の2年生の時、丁度14歳の時でした。広島にあこがれて、田舎から出てきたけど
家政女学校は広電が作った学校で、あの頃は、男の人は皆兵隊さんにとられていなかったから、
学校と言っても授業は1日2~3時間で後の時間は路面電車の運転をしたり、車掌をしていて、楽しかった。
今みたいなパンタグラフじゃないから、しゅっちゅう電線から外れるから、天井を開けて棒でつついて
はめるから、雨の日なんかは大変だった。8月6日は何故か急におなかが痛くなって学校の寮で休んで
居たときに 原爆が落とされて背中に132個のガラスが刺さった従姉妹に助けられてどうにか逃げること
ができた。それから3年経ってから姫路の会社で仕事をしたけど、寮でお風呂に入った時、生々しい
背中の傷を見た人から「どうしたの」と聞かれ「原爆にあったんだ」というと、「ピカドンの毒が移る」と
言って皆が逃げていった。あの時は本当に悲しかった。それでも同じ部屋の人たちは優しくて、一緒に
入って、私の背中を隠してくれた。そんな人たちに支えて貰いながら、他の人たちとも仲良くなれた。
原爆は本当に恐ろしいよ。一瞬で、全てを壊す。後々まで苦しめられる。』
 ちょっと前の事は忘れることが多くなってきたけど、あのときの事はずっとAさんの中から消えない本当に
消えない出来事だったのだと・・・そして、そんな辛い体験を聞かせていただいた私もしっかり心に刻んで
Aさん宅を後にしました。
他県から来た私にとって、原爆手帳と言うものは広島に来て初めて目にしたもので、多くの方が、お持
ちなことに驚き、改めて辛い歴史を知るところとなりました。そんな方々が、最期には「良かったな」と
言っていただけるようお手伝いが出来ればと思います。